ホーム<業務案内<公開講座のご案内<経営者倶楽部「ADOBA(アドバ)」<過去のゲストアドバイザー
(やまだ・まさる)1945年東京都生まれ。横浜国立大学工学部応用化学科卒業後、三菱商事株式会社入社。化学品部門を中心に歩み、ドイツ勤務等を経て、1992年昭栄化工株式会社に出向、更生管財人に就任。1993年同社管財人兼代表取締役社長に就任。1995年管財人兼三菱商事株式会社高機能化学品部長に就任。1996年三菱商事株式会社退社。1998年昭栄化工株式会社更生会社終結に伴い、代表取締役社長に専任。社名変更により株式会社SHOEI代表取締役社長に就任。2008年同社代表取締役会長に就任。会社更生法申請から、わずか5年半という短期間で更生計画を終了し、同社を高級ヘルメット業界において、世界トップシェアの企業へと導いた。
※日程及びゲストアドバイザー等は、お断りなく変更する場合がございます。予めご了承ください。
(こはま・ひろまさ)1941年大阪府生まれ。神戸商科大学商経学部卒業後、1965年株式会社主婦の店ダイエー(現株式会社ダイエー)に入社。1997年同社専務取締役に就任。2000年株式会社カスミ顧問に就任。2001年代表取締役副社長、2002年代表取締役社長に就任。「21世紀を活きる」をスローガンに経営の陣頭指揮を執る。2007年には年間来客数延べ1億人を突破。2010年代表取締役会長に就任。"共感創造企業"を目指し、茨城県(86店舗)を中心に、千葉県(20店舗)、埼玉県(21店舗)、栃木県(7店舗)、群馬県(4店舗)と、関東地方に合計138店舗(2011年8月末現在)を展開。2011年には創立50周年を迎えた。
(ばんどう・げん)1961年北海道生まれ。酪農学園大学獣医学部獣医学科卒業後、獣医として旭山動物園に勤務。1995年施設の老朽化等様々な問題を抱え、閉園論がピークの中、飼育展示係長に就任。2004年副園長を経て、2009年から現職。動物園全体の運営や施設作り、飼育係の教育、飼育展示係長や獣医の役割も担う。ライオンやトラなどが間近に見られる「もうじゅう館」、水中トンネルのある「ぺんぎん館」、「ほっきょくぐま館」や「あざらし館」、高い樹上での生活が再現された「おらんうーたん館」など、動物本来の能力や習性を見せる「行動展示」を考案、同園躍進のきっかけをつくった人物としても知られている。
(やまもと・とくじろう)1950年東京都生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業後、1849年(嘉永2年)創業の乾海苔および加工食品を販売する株式会社山本海苔店に入社。1992年取締役社長に就任。1993年には六代目山本徳治郎を襲名。1999年東京海苔問屋協同組合理事長に就任。2003年全国海苔問屋協同組合連合会代表理事会長に就任。「味附海苔」は1869年に二代目山本徳治郎氏が明治天皇が京都へ行幸の際の東京土産として考案された。また、1965年には日本で初めてドライブスルーを設置。暖簾を守りながら革新を進める6代目。2009年には「賢者の選択」にも出演。※徳は旧字
(にしじま・とくし)1951年愛知県生まれ。専修大学経済学部経済学科卒業後、豊橋工倶西島鐵工所入社。先代の故西島正雄社長に勧められ、ドイツへ留学。全く話せなかったドイツ語を、連日数時間のみの睡眠で習得。同国有数のカールスルーエ工科大に入学。門外漢だった工作機械学、機械設計学をマスターし、帰国。1995年豊橋工倶西島鐵工所代表、1998年西島株式会社代表取締役社長、2002年西島メディカル有限会社代表、2004年西島メディカル株式会社代表取締役社長に就任。「品質で勝負」の工作機械メーカー西島の三代目舵取りとして、1924年の創業以来、「定年なし」を実施。NHKなどメディアでも多数取り上げられている。1999年ドイツ連邦共和国功労勲章功労十字綬賞。
(でぐち・はるあき)1948年三重県生まれ。京都大学法学部卒業後、日本生命保険相互会社入社。ロンドン現地法人社長、国際業務部長などを経て、同社を退職。2005年より東京大学総長室アドバイザー(非常勤。2007年まで)を務め、2006年にネットライフ企画株式会社設立、代表取締役就任。2007年より早稲田大学大学院講師(非常勤。2008年まで)。2008年の生命保険業免許取得に伴い、ライフネット生命保険株式会社に社名を変更、同社代表取締役社長に就任。2010年より慶應義塾大学講師(非常勤。2011年まで)。主な著書に『直球勝負の会社』、『生命保険入門 新版』、『「思考軸」をつくれ』、『常識破りの思考法』、『百年たっても後悔しない仕事のやり方』等がある。
(えじり・よしひさ)1946年福島県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、エジリ帽子店入社。1978年有限会社エジリ(現株式会社ハニーズ)専務取締役に就任。1985年株式会社ハニークラブ設立。同社代表取締役社長に就任。1986年株式会社エジリから株式会社ハニーズへ社名変更。代表取締役社長に就任。2006年には中国に進出し、好麗姿(上海)服飾商貿有限公司を設立。同社董事長に就任。ヤングカジュアル婦人服のSPA(自社企画製造直売)として、全国に851店舗(2011年5月末)、中国には350店舗を展開。高感度・高品質でリーズナブルプライス、企画から店頭に並ぶまで40日というスピード生産で低価格・高収益・高成長を実現。
(にしやま・しゅんたろう)1945年生まれ。東京都出身。法政大学経営学部卒業後、株式会社梁瀬(現ヤナセ)に入社。自動車のセールスマンをスタートに営業畑を歴任。2001年取締役、その後2004年専務、2005年副社長、2007年代表取締役社長、2011年取締役相談役に就任。創業以来87年続いた輸入業から小売業への転換を進める。「世界ナンバー1のプロフェッショナルなカーディーラー」をめざし、新車の販売だけでなく点検、整備などアフターサービスを強化。基本に立ち返り、実質本位の経営を進める。途中リーマンショックや東日本大震災に直面するが「自分の城は自分で守り抜く」気概で逆境に立ち向かい4期連続で黒字を達成。その間構造改革を推し進め有利子負債を圧縮。小売業の事業基盤を着実に築く。
(たかしま・こうへい)1973年神奈川県生まれ。東京大学大学院工学系研究科情報工学専攻卒業後、マッキンゼーに入社。Eコマースグループのコアメンバーとして活動。2000年「一般のご家庭での豊かな食生活の実現」を企業理念とするオイシックス株式会社を設立し代表取締役社長に就任。有機野菜等のネット通販・宅配を行う。2007年世界経済フォーラムより「ヤング・グローバル・リーダー」に選出。同年NPO法人「TABLE FOR TWO International」理事に就任。3月の大震災をうけ、東日本の食の復興を目指す生産者と支援企業のマッチング事業を展開する一般社団法人「東の食の会」や、震災孤児/遺児をはじめとした被災児童に対してリーダーシップ教育を行う一般財団法人「教育支援グローバル基金」の発起人・代表理事を務める。
(さとう・じゅんいち)1959年東京都生まれ。筑波大学経済学部卒業後、カクヤス本店(現株式会社カクヤス)入社。専務を経て1993年代表取締役に就任。2000年に店名を「大安」から「カクヤス」に変更。2002年商号を株式会社カクヤスに、事業名を「なんでも酒やカクヤス」に変更した。お酒のディスカウント業態からの大転換を決意し、現在のビジネスモデルを構築。家業である2店舗の酒屋を年商794億円(2011年3月期)の企業へ成長させた。宅配の長所を守りながら、独創的な出店やサービス戦略を加味し、直営店舗182店、センター等で30ヶ所の店舗・デポ網を活用した「お届けモデル」を開発。戸口を押さえた小売流通業を実現している。2010年3月には、「カンブリア宮殿」に出演。
(うおたに・まさひこ)1954年奈良県生まれ。同志社大学文学部卒業後、ライオン入社。1983年コロンビア大学でMBAを取得。その後ヨーロッパの食品メーカーに転じるが後に買収され、クラフト・ジャパンに転籍。1994年日本コカ・コーラに入社、取締役上級副社長に就任。日本発のマーケティング発想で「爽健美茶」「紅茶花伝」などヒット商品を多数手がける。2001年日本人としては26年ぶりとなる代表取締役社長に就任。2006年より会長就任。2011年12月会長職を退任。2007年に企業経営者や次世代の人材へのマーケティング啓蒙・啓発を推進するため株式会社ブランドヴィジョンを設立、同社代表を兼任。著書に『会社は変われる!〜ドコモ1000日の挑戦』『こころを動かすマーケティング〜コカ・コーラのブランド価値はこうしてつくられる』等がある。
(いしぐろ・ふじよ)1958年愛知県生まれ。名古屋大学経済学部卒業後、ブラザー工業・外資系企業を経て、スタンフォード大学にてMBA取得。その後、シリコンバレーにてハイテク系コンサルティング会社を設立、日米間の技術移転等に従事。2000年よりネットイヤーグループ代表取締役として、大企業を中心に、事業の本質的な課題を解決するためPCやモバイルのウェブを中核に据えた総合的なマーケティングを支援し、独自のブランドを確立。2002年名古屋大学工学部客員教授。現在、経済産業省 IT経営戦略会議委員、経済産業省 産業構造審議会情報分科会委員に就任。著書に『言われた仕事はやるな!』がある。
(ひぐち・たけお)1938年兵庫県生まれ。関西学院大学法学部卒業後、鉄鋼商社を経て、大和ハウス工業株式会社入社。1993年累積86億円の赤字経営に陥っていたグループ会社大和団地社長として再建に当たり、積極経営によって2年で黒字化、7年で復配に導いた。その経営手腕を評価され、2001年大和ハウスと大和団地の合併により大和ハウス工業社長に就任。スピード経営をモットーに大企業病に陥っていた同社の改革に取組んだ。2003年度には、2100億円の特別損失を一括処理、創業以来の赤字決算から翌年V字回復を果たした。2004年には代表取締役会長兼CEOに就任。2005年大阪商工会議所副会頭に就任、2006年大阪シンフォニカー協会理事長に就任、2009年社団法人住宅生産団体連合会会長に就任。著書に『熱湯経営「大組織病」に勝つ』、『先の先を読め複眼経営者「石橋信夫」という生き方』がある。
(かわはら・しげみ)1952年福岡県生まれ。九州産業大学商学部商学科卒業後、量販店勤務、コック見習等を経て、独立。1979年レストランバーを開店。1985年ラーメン店「博多一風堂」を開店し、その翌年に力の源カンパニーを設立。1997年TVチャンピオン・ラーメン職人選手権で優勝後3冠達成の殿堂入りを果たし、2005年にはTBS系至上最大のラーメン王座決定戦で初代麺王に輝く。ラーメンづくりに情熱を注ぎながらも、2000年JR東海フードサービス運営「名古屋駅麺通り」のプロデュースに関わり、現在も数々のプロデュースを行っている。現在は、「博多一風堂」43店舗(国内)、「五行」5店舗、「行集談四朗商店」、「ちゃんぽん太郎」、ベーカリー事業を経営。2008年には「IPPUDO NY」をオープン。2009年にはシンガポール店をオープン、2010年にはシンガポール2号店をオープンした。
(たじま・としかず)1953年東京都生まれ。青山学院大学文学部卒業後、1977年ジャーディンマセソン&カンパニー(ジャパン)リミテッド入社。その後、株式会社グッチジャパン営業本部長、クリスチャンディオール株式会社取締役営業本部長等などの要職を経て、1998年クリスチャンディオール株式会社代表取締役社長に就任。2004年 LVJ株式会社フェンディジャパンカンパニーのプレジデント&CEOに就任。2009年真珠の養殖、加工、販売及び貴石・半貴石の輸入、加工、販売事業を行う真珠業界のトップでありダイヤモンドにおいては国内唯一のサイトホルダーである田崎真珠株式会社代表執行役社長に就任。高級ファッションブランド業界における豊富な経験と実績を生かし、ブランド再生に取り組んでいる。2010年銀座本店をリニューアルオープン、本町ガーデンシティ店をオープン。
(なかじま・みねお)1936年長野県生まれ。文学士(東京外国語大学中国科/1960年)、国際学修士(東京大学/1965年)、社会学博士(東京大学/1980年)。1977年東京外国語大学教授。1995~2001年東京外国語大学長。1998~2001年国立大学協会副会長。1998~2006年アジア太平洋大学交流機構(UMAP)初代国際事務総長、文部科学省中央教育審議会委員(大学院部会長・外国語専門部会主査)、2000~2006年財団法人大学セミナー・ハウス理事長、2006~2008年内閣教育再生会議有識者委員。オーストラリア国立大学、パリ政治学院、カリフォルニア大学サンディエゴ校大学院の客員教授を歴任。著書は『現代中国論』『中ソ対立と現代』『北京烈烈』(サントリー学芸賞受賞)『国際関係論』『中国・台湾・香港』『21世紀の大学』『「全球(グローバル)」教育論』など多数。中国・台湾などについての評論活動で2003年度「正論大賞」受賞。
(こじま・みつのぶ)1945年東京都生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業、慶應義塾大学ビジネススクール(現:同大学大学院経営管理研究科)修了後、三井銀行に入行。義父から両備運輸の再建を依頼され、1973年両備運輸株式会社(現:両備ホールティングス株式会社)入社、常務取締役に就任。1999年には両備バス株式会社(現:両備ホールディングス株式会社)社長に就任。2005年南海電気鉄道が運営を断念した貴志川線の経営を引き継ぐため和歌山電鐵株式会社を設立、社長に就任。各社員が一人三役をこなす徹底した合理化に加え、ユニークな改装電車や、貴志駅の猫の駅長たまなどのアイデアで再建を進める。1999年から両備グループ代表。現在、両備グループ50社(45社の社長)の代表取締役を務めている。2010年にはテレビ東京『日経スペシャル カンブリア宮殿』に出演。
(ふじた・とくお)1951年東京都生まれ。慶応義塾大学経済学部卒業後、株式会社日本航空入社。1985年株式会社サトー入社、社長室長などを経て、1990年代表取締役社長に就任。先代から受け継いだ創業精神を守り伝えながらも、絶え間ない環境変化に適応するため「変化し続ける経営道」を邁進し、店頭公開を実現。1997年東証第一部上場。2003年代表取締役執行役員会長兼最高経営責任者に就任。2006年早稲田大学大学院アジア太平洋研究科博士後期課程修了。自らの経営体験をまとめ、博士(学術)Ph.D.を取得。2007年秋藍綬褒章。取締役経営顧問に就任し、現在に至る。社団法人日本自動認識システム協会会長。著書に『たった三行で会社は変わる』がある。
(やまもと・りょうすけ)1942年奈良県生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業後、3年間、繊維・化学品の専門商社である蝶理に勤めた後、不動産事業に従事。シングルマンションの管理・運営などを手がける。1989年12月、スーパーホテルを設立し、会長に就任。コストパフォーマンスと顧客満足が評価され、今や全国94店舗を展開し、稼動率約90%、リピーター率約70%という驚異的な実績を上げている。1995年5月、シングルマンションを運営・管理するシティー・エステートを設立し、会長に就任(現任)。シングルマンションの部屋数は約5000室。最近は、シルバーホームも手がけている。さらに1996年9月、社会福祉法人聖綾福祉会を設立し、理事長に就任(現任)。
(むねつぐ・とくじ)1948年石川県生まれ。不動産業を経て、1974年名古屋市郊外にて喫茶店を開業。1978年カレーハウスCoCo壱番屋を創業、社長に就任。その後会長を経て、2002年創業者特別顧問に就任。2003年NPO法人イエロー・エンジェルを設立、理事長に就任。2007年クラシック専用「宗次ホール」を名古屋にオープンし、代表に就任。1994年アントレプレナー大賞部門・中部ニュービジネス協議会会長賞、2004年第6回企業家賞を受賞。著書に『夢をもつな! 目標を持て!』、『CoCo壱番屋 答えはすべてお客様の声にあり』、『日本一の変人経営者』、『成功するカレーハウス驚異の社長製造法』等がある。
(なかだ・ともひろ)1950年岐阜県生まれ。駒澤大学経済学部卒業後、家業(ラムネ製造)の中田商店に入社。無添加・無漂白もやしを開発し、1980年ナカダ産業株式会社設立。代表取締役専務に就任。1990年社名を株式会社サラダコスモに変更。代表取締役社長に就任。1995年ニュービジネス協議会アントレプレナー大賞、1997年中小企業研究センター賞を受賞。2000年純粋な民間企業ながら、極めて公共性の高い非営利活動組織(NPO)の精神でアルゼンチンを生産活動拠点として、安全食品の開発、食糧の増産及び調達を使命とする企業として株式会社ギアリンクスを設立。社長に就任。2010年には、国連ジュネーブ本部農業食糧会議にてサラダコスモ・ギアリンクスの活動を紹介。8月にはサラダコスモ創立30周年、ギアリンクス創立10周年を迎えた。
(あきもと・ひさお)1948年静岡県生まれ。静岡県立韮山高校卒業後、自衛隊体育学校入校。大手ハウスメーカーのトップ営業マン、地元ゼネコン勤務などを経て、1989年に株式会社平成建設を創業。業界に蔓延する丸投げ下請け構造が有能な職人を作業員(単能工)にかえてしまい、かれらのやりがいを損ねていること、そして何よりも顧客との関係を決定的に損ねていることを痛感し、単能工から多能工への転換、そして内製化を推進。創業以来増収を続けている。新卒で大工や職人を募集する唯一の会社として就職人気ランキングでは大手に伍す。2008年にはテレビ東京系「カンブリア宮殿」、2009年にはBS朝日系「賢者の選択」に出演。著書に『高学歴大工集団』がある。
(わにぶち・みえこ)1948年大阪府生まれ。甲南大学文学部英文科卒業後、大阪万国博覧会国連館VIPコンパニオンとなる。1973年政財界人など日本のトップ層を顧客に持つハンドメイドオーダー紳士服の老舗である銀座テーラーグループの後継者、鰐渕正夫氏と結婚。1995年株式会社銀座テーラー総支配人に就任。バブル崩壊後、経営危機に陥った同社を救うべく、病気だった正夫氏を説得し、2000年三代目代表取締役社長に就任。テーラー技術の伝承を目的とした日本テーラー技術学院を開校。2006年社名を株式会社銀座テーラーグループに変更。新業態として男性専用の美容サロンを自社ビル内にオープン。2007年にはテーラー業界の発展の為に『テーラーギルド』を発足。著書に『勝ち残りましょ、銀座で』がある。
(やまだ・あきお)1931年中国・上海生まれ。1948年旧制大垣中(現・大垣北高)を卒業後、父が経営する電線メーカーに就職。その後演劇に熱中し退社。1965年演劇仲間だった故清水昭八氏(前会長)らとともに未来工業を設立。社長に就任。1989年黄綬褒章受章。1991年名古屋証券取引所2部上場。2000年に相談役就任。2001年勲五等双光旭日章受章。年間休日140日・残業一切禁止・ホウレンソウ禁止など、常識外れな経営術で、経常利益15%という驚異的な利益を上げてきた、電気工事資材のスーパー製造業。中小企業経営の神様と称され、ビジネス誌・新聞・テレビなどでも多数とりあげられている。